焦げるような陽射しがきつい。
祖父に買い与えられた大きめのストール、ヒジャブで頭から肩までを覆い隠しているが、服の上から突き刺すような強い太陽の光を完全に防ぐことは出来ない。ガクガクと前後に動きながら歩くラクダの上で、その動きに身を任せて揺られていた真生子は、一瞬飛びそうになった意識をなんとかして繋ぎとめた。
もう何時間、こうして揺られ続けているのだろう。時間感覚は完全に麻痺しており、頭の上にある太陽がずっと同じ場所に鎮座し続けているかのような錯覚にさえ陥っていた。頭がぼうっとする。口の中が砂でザラザラして不愉快だ。手の甲で額の汗を拭うが、いくらそうしても止めどなく滲み出してくるものだから無駄であった。汗の一部は蒸発して塩分だけを残し、ざらつく結晶へと変化している。真生子は手綱を握り直し、ぼやける視界の中で懸命に前に顔を向ける。
「真生子、大丈夫か? 水を飲むんじゃ」
度々後ろを振り向いて孫娘の様子を伺っていた祖父は、頭をフラつかせている真生子に気遣いの言葉を掛ける。それに黙って頷き、背後の荷物と一緒に括り付けてある水筒に手を伸ばした。
が、後ろへ腕をやっているのに一向に硬いものに触れられない。あれ、あれ、と不思議に思っているうちに、砂の上へ向かってズルズルと傾いていた。
落ちる。そう理解するよりも早く、空中で、真生子は「何か」の腕に抱きとめられていた。視界がぼやけていてよく見えないが、真生子を支える腕は半透明で、誰かがスタンドを使って助けてくれたのだ、と鈍い意識の中で理解した。皆が名前を呼んでいる。もう目を開けていることも叶わなかった。真生子は緩やかに気を失いながら、腕を掴まれて引っ張り上げられ、誰かの胸に抱きかかえられるような感覚をおぼえた。
◆◇◆
火が弾ける音がする。
うっすらと目を開けると、あの灼けるような太陽は既に姿を潜め、眼前には黒いベルベットの上に無数の宝石を散りばめたような美しい星空が広がっている。
辺りを見回すと、少し離れた場所で、兄と祖父、ポルナレフがテントを張っているのが見えた。体を起こそうとすると、身体の上に毛布が掛けられているのに気付く。気絶する程暑かったというのに、夜の砂漠は冷え込み、風が吹くと地面の上を冷気が走り抜けていく。ぶる、と肩が震えてしまう。傍で起こされている焚火から、僅かな熱が伝わってくるが、横たわったまま体を温めるのには少し火力が足りなかった。
ふと、自分の腹の上にぼたりと白い物が落ちた。短冊状に折り畳まれ、軽く湿ったタオルだった。思わず額に手をやる。手足は冷たいのに、頭の芯に熱が篭っていた。体が何となく重たく、怠い。少しの頭痛もあったが、こめかみを指先で抑えていると直ぐに収まった。
「真生子」
不意に聞こえた穏やかな声に振り返る。花京院が笑顔でこちらへ歩いてきた。手には幾つかのカップとポットを持っている。彼は真生子の側に座り込むと、それを焚火に焼べ、インスタントコーヒーを拵え始めた。
「君、熱中症で倒れたんだよ。体調はどう?」
熱中症。そう繰り返し、真生子は項垂れる。立てた膝に顔を埋めると、花京院は心配そうに覗き込んできた。
「みんなに迷惑かけちゃった……」
ボソボソと呟いた言葉に、花京院はそんなことはない、仕方がないとフォローしてくれる。
女だからという理由で迷惑をかけぬように努力しても、男女の根本的な体力差には抗うことはできなかった。それが悔しく、情けない。
それに、と花京院は言葉を続けた。
「あれはスタンドの仕業だったんだ」
「スタンド?」
きょとんとして聞き返すと、「そう、太陽のスタンド」と彼は肯定した。真生子が倒れた時刻は本来ならばとっくに日が沈んでいるはずだったのだという。だれも異常に気付かなかったとはいうが、あれ程暑ければ時間の感覚が狂ってしまっても無理はない。事実、真生子自身も、延々と続く「昼」を疑問に思ってもいなかった。
ともあれ、こうして野宿の支度をしているということは、その「太陽」のスタンド使いを無事に撃破したということなのだろう。だが、彼らの足を引っ張ってしまったことには変わりはない。
「はい」
そっと差し出されたカップからは湯気が立ち上っている。礼を言って受け取ると、コーヒーのいい匂いが漂ってきた。
「今はよく休んで、早く体を治すことだけを考えたらいい。朝には出発しなくてはならないからね。昼頃にはヤプリーン村に着くそうだが……」
真生子は顔を上げて花京院を見た。焚火を眺める横顔が、オレンジの光に照らされて闇の中で浮かび上がっている。賢明そうな、切れ長の瞳が光を反射して輝いていた。
「どうかした?」
その鳶色の眼を向けられ、真生子はハッと我に返ると首を横に振った。つい、見惚れてしまっていた。なんでもないよ、と消えそうな程の声量で返事をし、顔を背ける。
胸の奥が苦しい。
熱中症の名残とは別のその症状が、一体何なのか分からない程、真生子は子供では無かった。
花京院はテントの方を振り返り、設営が終わったことを確かめて立ち上がった。「寒いから中に入ろう」と言い、真生子の周りの荷物を拾い上げ、踵を返した。テントの中へ消えていったその背中を見送った後も、真生子は暫くの間ぼんやりと座り込んでいた。
彼と入れ違いに、テントから承太郎が顔を出した。
「何ぼうっと座ってんだ、お前も入れ」
焚火の傍から動かない妹を見咎め、彼はぶっきらぼうに言うと手を伸ばした。腕を引っ張られて立たされる。カップの中身を溢しそうになり、慌ててバランスを整える。
「花京院に礼は言ったのか」
「お礼? コーヒーの?」
違えよ、とあっさり一蹴されてしまう。ぽかんと承太郎を見上げていると、彼は例の口癖を呟いて帽子の鍔を引き下げた。
「お前、落馬した時のことを覚えてないのか」
「…………お兄ちゃんじゃないの?」
あの時、隣を歩いていたのは承太郎だ。
訊きながらも、スタンドに抱きとめられたあの瞬間、朦朧とした意識の中で、これはきっと兄なのだろうと半ば確信していた真生子は内心で動揺していた。
「スタープラチナの射程距離を考えろ」
彼のスタンドは強いパワーと精密性を持つが、せいぜい二メートル程離れるのが限界だ。ギリギリまで伸ばしてくれたんじゃないの、という妹の言葉を無視し、承太郎は地面に置き去りにされていた荷物を拾い上げ、サッサとテントへ戻って行った。
──あの時、わたしをかかえて抱きしめたのは。
兄の後をフラフラと追いながら、真生子は頬にカアッと血が集まっているのを感じていた。