体の下がゆらゆらと揺れる感覚にも、もうウンザリしてきた。ゆっくりと目を開けると、青味がかった薄暗い視界の中、立てた自分の膝と、その上に乗せた腕が目に入る。ボートの淵に沿って腰を下ろした仲間たちは皆眠り込んでいるようだ。辺りに視線を巡らせる。相変わらず、見渡す限り一面の真っ黒な大海原。船や街の光は、やはりどこにも見つけられない。つい溜息が漏れる。まさか海の上で、こんな粗末なボートの上で夜を越す羽目になるとは思ってもいなかった。夜の海上を駆け抜ける風は冷たく、吹き付けると肩が震えてしまう。
海の旅では初っ端から散々な目に遭わされているが、もう空路は選択できない。東京からカイロへ向かう飛行機の中で起こった惨劇を思い出し、寒さとは違う震えが背中に走る。かと言って、他の移動手段が安全だという保証もなかったのだ。飛行機と違って他の乗客を巻き込まなかっただけマシだが、本物のテニール船長は殺されてしまった。また無関係な人を巻き込んでしまったのだ。
肌寒さに耐えようと自分の肩を抱きしめる。腕をさすっても、微かな震えはなかなか収まらなかった。

「起きてたのか」

ふとそんな声が聞こえ、驚いて顔を上げると、隣に座る花京院が心配そうにこちらを見ていた。

「その……ちょっと目が覚めちゃって。花京院くんも?」

真生子は曖昧にはにかんで見せ、気恥ずかしさから目を逸らした。眠っていると思ったのに、起きていたのか。

「ああ……こんなところじゃ、安心してゆっくり眠れないな。早く救助が来てくれると良いんだが」
「そうだね。そろそろ、この揺れる感じにも疲れてきちゃった」

そう言ったところで、背筋を駆け上がった寒気にぶるりと身震いしてしまった。

「寒いのか?」

そう訊かれて、うん、少し、と言葉を濁す。船から一枚だけ持ち出すことのできた毛布は、例の密航者の女の子に使わせている。彼女が顔を顰めながらも穏やかに眠っているのを確認して、真生子は小さく息を吐き出す。彼女は一度、海に落ちて服を濡らしてしまっている。もう大方は乾いているのだろうが、風に当たって凍えてしまっては可哀想だ。他は皆屈強な身体つきをした男性で、ポルナレフなどは見ているこちらが心配になるほどの薄着だが、平気な様子で膝を立ててグウグウと眠り込んでいる。
だから、ここで自分だけ寒いなどと弱音を吐きたくなかったのだ。肩を抱いて自分の膝に顔を埋める。じっとしていればそのうち眠れるだろうし、眠れずとも目を瞑っているだけでも大分頭は休まる筈だ。
すると、隣から布の擦れる音が聞こえたかと思えば、肩にふわりと温かく柔らかい感触を覚えて、真生子は驚いて目を開けた。薄暗い月明かりの下でも分かる、濃緑の学生服が、肩の上に掛けられている。「えっ」と間抜けな声を出して見上げると、白い清潔そうなワイシャツ姿の花京院が微笑んでいた。

「女性が身体を冷やしてはいけないよ」

ぼっと音が出たかと思うぐらい、一瞬で頬が熱くなるのが分かった。真生子はあまりの恥ずかしさに顔を伏せ、その動きでずり落ちそうになった学ランを慌てて手繰り寄せた。

「でも、これじゃ花京院くんが……」
「ぼくは大丈夫だ。こう見えて結構頑丈だから」
「うん……でも」
「大丈夫だ」
「……そっか。ありがとう」

冷たくなった指で制服の襟を掻き合わせ、抱き締めるようにすると、服の中に残っている彼の体温が優しく伝わってきて、真生子にはそれがもう熱いくらいに感じられ、額にじんわりと汗まで浮かんできてしまう。緑の制服からは、兄や祖父とはまた違う男性の匂いが微かにする。

「それじゃ、おやすみ」
「う、うん。おやすみなさい……」

真生子の動悸など露知らず、花京院はボートのヘリに頬杖をついて寝に入ってしまった。その横顔を下の方から盗み見てみる。髪と同じ、赤味がかった睫毛が長く伸び、いつも険しく引き締められている同じ色の眉は少し和らいでいる。波に乗るボートの微かな動きに合わせ、長い前髪がゆらりと揺れた。
……何、考えてるんだ。
我に返った真生子は頭を軽く振り、今度こそ眠ろうと顔を伏せた。仲間に見惚れている場合じゃないのに。そう分かっているのに、家族以外の男性にこんなに優しくされると、胸がドキドキして緊張してしまう。
勘違いしちゃダメだ。
花京院くんは、わたしだから優しいんじゃない。仲間を大切にする人だから、みんなに同じように親切なだけだ──思い違いを起こさないように自分に言い聞かせ、真生子はギュッと学ランを引き寄せながら固く目を閉じた。胸の鼓動は激しいままだ。隣に座っている彼に聞こえてしまいやしないかという心配を掻き消すように、穏やかな夜の波のさざめきが世界を包み込んでいた。