「ねえ、あんたさ……あんなむさ苦しい連中の中に女一人でよく平気ね」

シンガポールの高級ホテルの一角、自分に割り当てられた部屋のベッドに座っていた真生子は、半ば呆れたような声に顔を上げた。シャワー室から出て来た少女が、頭をタオルで拭いながらこちらをジッと見ている。香港でチャーターしたクルーザーにこっそりと乗り込んでいた密航者であった彼女は、この国に住んでいる父親に会いに行く途中なのだという。その身の上に同情したジョセフが宿を工面してやることになり、女同士ということで真生子が同室にあてがわれたのだった。

「平気って?」
「あのね、色々困ることあるでしょ? 誰に何されるか分からないじゃない!」

何故か声を荒げながら詰め寄られ、真生子は狼狽えた。どうやら彼女なりに心配してくれているらしい。

「大丈夫よ、だっておじいちゃんとお兄ちゃんが一緒だもの」

百九十五センチの屈強な大男二人の姿を脳裏に浮かべながら、真生子は苦笑した。
兄はともかく祖父は、孫娘に細かく気を配り、真生子がそういったことで困らないように配慮してくれる。そうでなくとも、アヴドゥルや花京院は真生子に対して常に紳士的だ。女性好きだというポルナレフも、しばしばフランス人らしい甘ったるい言葉をかけてはくるが、亡くなった妹の姿を真生子に重ね合わせているようで、きょうだいを可愛がるように接してくる。真生子自身も、可能な限り肌の露出を減らし、体が触れ合ったりしないように気を配りながら過ごしていた。
しかし確かに、外部の人間からして見ると、男五人の中に女一人というのは不健全に感じられるのかもしれない。
少女はふぅんと不服そうな声を出しながら、反対のベッドにゴロリと寝転がった。

「あんたは大丈夫って思っててもさ……他の人は何を考えてるか分からないよ」
「他の人?」

鸚鵡返しに尋ねると、そうよ、と少女は身体を起こして顔を近づけてきた。

「特に、花京院さんとか! 年が近いんでしょ?」
「か、花京院くん!?」

彼女の口から飛び出した思いもよらぬ名前に、真生子はギョッとしてしまう。顔が熱くなり、妙な汗まで浮かんできて、思わず頭を伏せた。
少女はその反応をジロジロと興味深そうに見つめる。そうして何かを勘付いたようにニヤリと笑うと、ベッドから降りて真生子の隣にやって来た。

「もしかして、好きなの?」

真生子はカアッと頬を紅潮させた後、「そんなんじゃない」と大声を出して立ち上がった。照れ隠しに、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを引っ張り出して煽る。よく冷えた水が喉を通過し、熱の篭った胸の奥を冷まして行った。そんな真生子の様子を、少女はニヤニヤしながら眺めている。

「なんだ、図星じゃん! 花京院さんとは同じ学校なの? どこで出会ったのさ?」
「もう……」

調子のいい娘だ。真生子は肩を竦めた。
別に、女の子同士だし、恋愛話に興じるのには悪い気はしない。しかし本当に、好きなのかと言われると、自分でもまだよく分からないのだ。背が高くて頼もしくて、顔もハンサムで、その上とても親切にしてくれる花京院に、ドキドキしてしまうことが無い筈もないが、それが恋なのかと問われては返事に困ってしまう。

「始めて会ったのは学校じゃなくて、ええと……お兄ちゃんがちょっと怪我をしたときに傍を通りかかったのが花京院くんで、その後色々あってお兄ちゃんと花京院くんが喧嘩して、それで花京院くんがうちに来て……」
「怪我? 喧嘩?」
「う、うん」

少女は訝しげな顔をしている。端折ってはいるが、一応嘘は言っていない。
それに、と真生子は俯きながら付け足した。

「わたしたちはただ旅行してるんじゃないの。わたしのお母さんの病気を治すために、訳あってエジプトへ行かなくちゃならなくて……」
「うーん……病気を治すためにエジプトに? 日本からわざわざ? よく分からないけど……」
「うまく説明できないけど……とにかくそうなの。だから、恋なんかしてる場合じゃないんだ」

日本にいる母を思い、真生子は段々と暗く重たい気持ちになっていった。
スタンドの事など知らぬ少女には、今の真生子の説明は不可解なものであったに違いない。言葉が進むにつれて沈んでいく真生子の声のトーンに、何と相槌を打てばよいのか戸惑っているらしく、バツの悪そうに眉を顰めている。それを見て真生子は我に返った。出会って数日の、何の事情も知らない、こちらとは無関係の年下の女の子に、こんな重たい話をして嫌な気持ちにさせてしまうつもりはなかった。
空気を悪くしてしまったことを詫びようと口を開いた時、不意に、部屋に設置されている電話機が鳴り響いて、真生子の心臓は跳ね上がった。恐る恐る受話器を取り、耳に当てると、よく聞き慣れた祖父の声が機械越しに聞こえてきた。

『おお、真生子。急いでわしの部屋に来るんじゃ』
「どうしたの?」
『ポルナレフが敵のスタンド使いと遭遇したと連絡をよこしてきた』
「敵? ホテルの中で?」

つい裏返りそうな声を出し、少女の方を振り返ると、不思議そうな表情でこちらを見つめている。分かった、と短い返事をして、真生子は電話を切った。

「一緒におじいちゃんの部屋に行くよ」
「えーッ、何なに? 敵ってなんなのよ」
「後で話すからおいで」

手招くと、彼女は何かブツブツ言っていたが、ベッドから降りて大人しく着いてきた。


ジョセフとアヴドゥルの部屋を訪れると、すでに承太郎と花京院も到着していた。当のポルナレフの姿が見えないことを不安に思いながら室内に入る。

「ポルナレフさんは?」
「他の皆より少し部屋が離れてしまっているからな……すぐ来るじゃろう」

祖父がそう言うのならそういうものか、と納得することにした。
ジョセフとアヴドゥルは、向かい合った一人がけソファに座っている。承太郎と花京院は、二つ並んだベッドにそれぞれ腰を下ろしていた。すると、真生子の横に立っていた少女がスッと傍をすり抜け、我先にと承太郎の隣に座り、意味深な目配せをしてくる。真生子は首を傾げた。
少女は真生子にしか分からないように微かに、顎で向かいのベッドを指してみせる。そっちに座れということらしい──と気付いて真生子はまた赤面する羽目になった。

「なに突っ立ってんのよ」

痺れを切らしたらしい彼女にそう声を掛けられ、真生子は渋々、少女の正面、つまり花京院の隣へそっと腰を落とした。少女がニヤニヤしながらこちらを見上げてくるのを無視して、澄ました顔で何でもないような態度を取っているつもりだったのだが、

「もしかして具合が悪いのか? なんだか顔が赤いな」

と横から気遣わしげに飛んできた花京院の声に、思わず飛び上がってしまいそうになった。

「う、ううん! ちょ……ちょっと暑いだけ。ありがとう」
「そうか? それならいいが」

適当なごまかしに、花京院は納得したらしい。ちらりと少女に目を向けると、これは面白いと言わんばかりに笑いを堪えている。向かいに座る兄が、訝しげにこちらを見ているのに気が付いて、真生子はますます顔が熱くなるのを感じながら顔を伏せた。


結局、その敵のスタンド使いとやらはポルナレフが一人で倒したらしい。血塗れの満身創痍でやってきた彼の治療を済ませてから、真生子と少女は自分たちの部屋へ戻ってきた。

「ああもう、あー可笑しい! あんた分かり易すぎ!」

ベッドの上で笑い転げ回る少女に、真生子は何も言い返せずに頬を膨らませていた。

「隣に座っただけで、なに顔真っ赤にしてんのよ!」
「だって、緊張するんだもの、男の人が近くにいると」
「男の人って、あのねぇ」

びょんっとベッドから跳ね起きて、少女はこちらに指を突きつける。

「自分で気付いてないの? ポルナレフのこと手当するときにはフツーにしてたじゃないの!」
「えっ?」
「なんていうか、あんたホントに、まともに恋したことないのね~」

彼女の方がずいぶん年下だというのに、呆れたようにそう言われてしまい、真生子は唖然としてしまった。
確かに、少女の言う通り、はっきりと恋愛と呼べるようなものは経験したことがない。彼女が言うには、真生子のそれはもうすでに恋なのだという。
頭を傾げて悩んでいると、彼女は白い歯を見せて笑い、真生子のベッドへ移動してきた。

「しょうがないなぁ。じゃ、あたしが恋の何たるかを教えてあげるわよ、真生子」

楽しそうな笑顔を見せる少女を、きょとんとして見返す。
出会ってから初めて名前を呼ばれた気がした。ずっと「you」と呼ばれていて、もしかして彼女は自分の名前を忘れてしまったのではないかとさえ思っていたが、そうではなかったらしい。
生き生きした表情で今までの恋の体験談について語る彼女を眺めながら、何だか急に妹ができたような感覚になって、真生子はついついクスッと笑った。

「あーッ、なに笑ってんのよ。馬鹿にしてんの?」
「違うよ。スゴイなって思って」

たまにはこういうのも悪くはないかもしれない。うんうんと相槌を交えて話に耳を傾けながら、自然と穏やかな気持ちになっていった。