「好きです」

目の前に突っ立った青年が呻くように漏らした告白が胸に突き刺さり、真生子は僅かに身動ぎした。
生温い風が吹き抜けてスカートの裾を持ち上げる。昼休憩も終わろうかという屋上は他に人気が無い。気まずい沈黙を埋めるように、真生子は「えぇと」と小声で呟きながら、視線を四方八方へ巡らせた。
彼は、一年生の頃からずっと同じクラスの生徒だった。そんなに仲が良いという訳でもない。でも、他の男子よりは、会話する回数が多いかもしれない。親切で優しい人。そんな認識だ。今日の今日まで、自分を好いてくれているなど気付きもしなかったが。
正直、こんなところへ呼び出された時点で告白されることはわかっていた。それはわかってはいたが、なんと返答すれば良いのかはまだ考えついていなかった。勿論、返さなくてはいけない答え自体は最初から決まっていて、このクラスメートの勇気を無碍にしなくてはいけないことを申し訳なく思う。どうしたら出来る限り彼を傷つけないで済むのか。真生子は何度か口を開いては閉じ、また言い掛けては止めたあと、結局、

「……ごめんなさい。お付き合いしている人がいるの」

などという在り来たりの言葉を選ぶことになってしまった。
彼は肩を揺らした後、暫くの間黙り込んだ。そうしてゆっくりと顔を上げ、悲しそうな目で真生子を見つめる。

「本当は最初から知ってたんだ……あの花京院とかいう三年生と付き合ってるんだろ?」
「……」

真生子はきまりが悪くなり、ローファーのつま先をもじもじと擦り合わせた。
学校の中でちょっとした噂になっていることは知っていた。転校初日に失踪し、約二ヶ月後に傷だらけで戻ってきた典明と、彼とまったく同時期に学校を休んでいた承太郎と真生子は、不良同士の闘いに巻き込まれたのだとかヤクザに拉致されたのだとか空条貞夫のコンサートツアーに同行していたのだとか多種多様な憶測が飛び交っていたらしい。そんな中で典明と真生子が一緒にいる場面が目撃されてまた話題になっていたようなので、生徒たちから関心を向けられるのも仕方ないのかもしれない。口の中でモゴモゴと呟くように肯定するのが精一杯だった。

「じゃあわたし、これで……」
「なんであいつなんだ」

ポツリと漏れ出した唸るような声に、真生子は階下へ向かう階段へ向けようとしていた足を止めた。彼は俯いて握り締めた拳を震わせている。不穏な雰囲気に思わず後退りすると、彼はジリジリと距離を狭めてきた。

「おれはずっと、一年生の時から君が好きだったのに……!」
「……っあ、あの、待っ……」
「なんで……ッ」

ガシャン、と金属が擦れる嫌な音が頭の後ろで鳴った。気付けば屋上の四隅を囲むフェンスに背中がぶつかっていた。端まで追われていたのだ。彼の右手は金網を掴み、真生子の左手は肩を押さえて、逃げ道を無くそうとする。振り解こうとするが生身の力では叶わない。スタンドを使おう、という考えは動揺のあまり思い浮かばなかった。近付いてくる彼の顔を、唖然としたまま見上げる他なかった。

「──彼女から離れろ」

真生子はハッとなって、刺すように飛んできた声の方へ目を向けた。
革靴の底を低く鳴らしながら、赤茶の髪をした青年がこちらへ歩いてくるのが、肩越しに見えた。

「の……典くん」
「離れてくれ」

と、典明はもう一度言葉で制し、身を硬直させている彼の肩を掴み、真生子から引き剥がす。それで金縛りが解けたかのように、クラスメートは忽ち踵を返して走り出し、背中に声を掛ける暇もなく昇降口へ消えてしまった。
真生子はしばらく茫然としていた。あんな強引なことをするような人では無いと思っていた。典明はジッと、階段の方を睨み続けている。気まずさに耐え兼ねて、そっと彼の制服の裾を引いてみると、典明はようやく真生子を見、そうして溜息を深く吐き出した。

「教室に居なかったから、どこに行ったのかと思っていたが……君の友達が、ここに呼び出されたのだと教えてくれて、慌てて飛んで来たよ」
「そ、そうだったの。ごめんなさい」
「君は不用心過ぎる」

彼の暗い声に被せるように、午後の授業の始まりを知らせるベルの音が鳴り響いた。オロオロする真生子をよそに典明は平静そうに見え、そんなことでは動じないようで眉毛一つ動かさなかった。

「どうして一人でついて行ったんだ」
「大事な話って言われたから……」
「そんなこと言われたら、告白されるって気付いた筈だろ」
「うん、でも、それならちゃんと断らないと、かえって傷付けちゃうと思って……本当はああいうことする人じゃないの……気付かないうちに追い詰めちゃったのかな」

典明の腕が僅かに揺れた。大きな手が近付いてきて、頬に触れ、それから首、肩へと移動する。彼はもう一度深く息を吐いた。溜息と言うよりは深呼吸のそれに近かった。

「君、さっきどれだけ危ない目に遭ったのか、ちゃんと分かっているかい?」

真生子はキョトンとして首を傾げ、彼を見上げた。眉間のシワは普段より深く刻まれ、おおきな口はキュッと真一文字に引き結ばれている。聡明な鳶色の眼にじいと見つめられて、なんだか視線を合わせていられなくなって、つい目を泳がせてしまう。

「ええと……、これがもしエジプトへ向かう最中だったら、あんな風に油断したりはしなかったけど、でも今は……」
「……そうじゃあなくて、」

呆れたような、微かに震えたため息混じりの言葉。掴まれた肩をぎゅうっと握りしめられたかと思えば、そのまま背中をフェンスに押し当てられる。彼にしては荒っぽい行動に真生子は動揺し、思わず上擦った声で叫ぶと「さっきの彼の前でもそんな声を出したのか?」と典明は顔を顰めた。

「典くん……?」

恐る恐る彼の目を見て、真生子はギクリとした。無感情を装おうとして、無理矢理に気持ちを抑えつけているような面持で、唇を戦慄かせている。恋人の前ではあまり見せない顔だ──彼は、怒っている。それに気が付いて、頭からサァッと血が引くような感覚に襲われた。つい逃げようとして身を捩るが、左右に手を突かれてフェンスと彼の体の間に閉じ込められてしまった。

「……もしあのままぼくが来なかったら、どうなっていたか」

髪に彼の熱い息が掛かり、それだけでどうしようもなく背筋が粟立ってしまう。ふるりと身震いすると、典明は唇を耳へ近付けてくる。

「フェンスに両手をついて」

耳元に吹き込まれた言葉は息と裏腹に冷たく、真生子は怯えて肩を揺らした。

「典くん……っ」
「さあ、早く」

急かされて、恐る恐る、彼の言う通りにフェンスを向いて震える手を添える。緑色に塗られた網目の向こうに、青く晴れた空と誰もいない校庭、そして見慣れた町並みが広がっていた。
典明の手が腰を滑り、腿に潜り込んでスカートをたくし上げる。途端に脚と脚の間が涼しくなり困惑しているうちに、彼の指が器用にストッキングを抓み上げた。

「君には少々、お仕置きが必要らしい」

ビッ、と鈍い音。真生子は息を詰めた。肌が直接外気に触れる冷たい感覚。破かれたのだ──と気付くまでには時間がかかった。予想外のことに、真生子は戸惑い怯えてしまう。金網を握り締める手がカタカタと震えを起こし始めた。
破れ目から彼の指が入り込んでくる。いきなり肌に触られては、敏感な体はどうしようも無く反応を見せてしまう。

「こんなのやだ……」

涙声で呟くと、後ろで軽く笑ったような気配がした。
誰かに見つかったらどうしよう。腰の高さのあたりまではコンクリの壁で囲まれているし、建物の際からフェンスまでは少し距離がある。角度的に、校舎の下からは見つけられない位置だ。それでも、万が一、誰かに見られてしまったら。はたまた、見回りの先生や授業をサボった生徒が屋上まで来てしまったら。さっきの彼が、戻ってきてしまったら。冷たい嫌な汗が背中を伝い落ちる。
そんな真生子の焦りに典明が気付いていない筈もないが、彼は余裕を崩す気配すら見せない。腹に手が回って、セーラー服の中に滑り込んで、下着で覆われた胸に触れてくる。ぎゅっと押し潰すように揉まれ、堪らず呻いてしまった。ゾワゾワしたものが背骨の上を走り抜けてゆく。
こんなの初めてだ。こんなに乱暴にされるのは。

「はあ……っ」

つい湿った吐息が漏れ出す。無理矢理体を暴かれているのに、どうしてこんなに体の奥が疼くのだろう。隠されていた微弱な被虐嗜好の現れなのか、ここが学校だからなのか、それとも相手が彼だから、なのか。
それに気付いたらしい典明の指が、ショーツの裾をずらして中に忍び込んでくる。ぬるり、と滑る感覚がして真生子はハッとした。

「悦んでちゃあ駄目じゃないか」

頭を擡げて彼の方を向くと、呆れ口調でそう言いながらも愉快そうに唇を歪めている。
ごめんなさい、と反射的に口の中で呟いた申し訳程度の謝罪では、典明は満足してくれないようだ。身体をさらに密着させられ、尻を突き出すように持ち上げられた。

「……もう少し腰を上げて」
「やっ……」

グリ、と無遠慮に押し当てられた熱く硬いものに、真生子は驚愕してしまう。強い力で腰を掴まれていては逃げることも出来ない。

「ダメ、こんなところでっ、こんな……」
「いいから、力を抜くんだ」
「……あ! や……ぁ」

襞を押し分けながら、強引に体内を侵してゆく彼を、為す術もなく受け入れてしまう。たいして解れていない、硬い膣口が無理に拡げられ、つい苦痛に唸る。太いものを強引に身体の中に捻じ込まれるという辛さは、男性には知る由もない。内臓を押し上げられて、引き攣った呻きが喉から迫り上がった。

「苦し、典くん……苦しいよ……」
「お仕置きだって言ったろ?」
「はぁ……でも……」

フェンスに縋り付くように肩を押し付けるが、脚が震えてしゃがみ込んでしまいそうになる。典明の腕が腰を下から抱え込み、無理矢理立たせるように引き上げる。そんな状態で唐突に中を擦り上げられては、悩ましい声を漏らさずにはいられない。
灼けた杭が何度も何度も体の中を往復し、掻き乱され、されるがままに悶え続ける。結合部から浸み出した体液が、コンクリートの地面の上にポタポタと垂れ落ちているのが見えた。

「ん……うぅ……、ふ」

ピストンに合わせて苦しげに喘いでも、典明には行為を中断する気はないようだ。寧ろそれが彼の肉欲をそそってしまったらしい。より一層激しく突かれて、真生子はだらしのない声を上げながら仰け反った。強烈な快感の波が押し寄せ、どうしようもないままに飲み込まれ、抗うこともできずに流されていった。

「ああ……いったのか?」

絶頂の余韻に震える全身から力が抜け、真生子は壁伝いにへたり込みそうになるが、典明に腰を支えられているせいで膝をつくことは許されなかった。達したばかりで敏感になった柔らかい肉壁は、自分の体が震えるその僅かな動きにも反応を見せてしまい、更に彼を煽ってしまう。
ガクガクと何度も腰を揺すられたかと思うと、真生子の一番奥に埋まった典明が僅かに震えたのが分かった。頭上で彼が息を詰め、次の瞬間にはもう胎内から出て行ってしまった。ぱたた、と音を立てて、冷たい灰色をしたコンクリの上に、白い精がこぼれ落ちていく。真生子は肩で息をしながらそれを見届け、行為が終わったことに若干の安心感を得た。

「……駄目じゃないか。君までそんなに気持ち良くなっちゃあ」

呼吸を整えながら、典明はそう嘲笑した。外気に剥き出しのままの腹の上を、彼の汗ばんだ手がゆっくりと滑る。

「それとも、こうして乱暴にされるのが好きなのかい?」
「はぁ……は……違……」
「何が違うんだ? ぼくが来なかったら、さっきの彼にもこうされてたかも知れないって分かっているのか? それとも、それを期待していたとか」
「ち、違う、違うよ……」
「……全く、呆れるよ」

軽いため息混じりにそう言われて、真生子は目の前が真っ暗になるのを感じた。
全身から血の気が引くような感覚。心臓がどくどくと、痛い程に鼓動を打つ音が頭の中に響く。視界が歪み、ポタポタと透明な滴が地面の上へ次々落ち、無様な模様を作り出していった。

「……真生子?」

怪訝そうに呼ばれ、泣きベソをかきながら振り返る。

「ごめんなさい……どんなお仕置きも受けるから……はぁ……嫌いにならないで……お願い、典明……」

ぐすぐすと鼻を啜りながら、真生子は途切れ途切れにそう哀願した。
典明は暫くの間黙っていた。呆然と真生子を見つめ、それからようやく「嫌いになんてならないよ」と苦笑し、皺になったセーラー服を伸ばすように整えながら、真生子の体を反転させて向き直った。

「すまない……さっきの彼に君が取られたらどうしようと思って、妬いてしまったようだ」
「取られるって……? そんなことあるわけないのに……」
「ああ、分かってる。分かっているのに、不安になることもあるんだ」

情けないだろう? と典明は整った眉の端を八の字に下げた。
誰かに取られるかも──だなんて、いつもこちらが心配していることなのに。
典明はハンサムで背も高くて頭も良くて、何よりみんなに優しい。そのせいで沢山の女の子達の視線を集めてしまうから、モヤモヤと嫌な気分になることだって沢山ある。彼はハッキリと言わないが、愛の手紙を渡されたり、告白されたりしたことだって何回もあるのを知っている。そういう時、彼は女の子をあまり傷つけないように、でも敢然と断りの返事をしていることも、ちゃんと知っている。それでも、胸の奥にどろっとした黒い感情が芽生えるのを抑えることが出来なかった。もっと可愛くて、優しくて、明るい元気な女の子が典明に告白したらしいと知った時、真生子は慌てて彼の所へ飛んでいって泣いたこともある。典明が自分のことを大切にしてくれていて、心の底から好きで居てくれていると分かっていても、他の女の子に靡くはずがないと思っていても、どうしようもなく不安になってしまったのだ。
彼も、真生子と同じなのだと言う。
思わずぽかんと口を開け、何も言えず彼を見つめていると、心配になったらしい典明が「怒ったかい?」と尋ねてきた。

「あ……ううん。でも……こんなことしなくても、わたしはずっと典明のものなのに……」

言い終わらないうちに、彼の逞しく優しい腕に強く抱き締められていた。典明は口の中で何か呟いた。ごめん、と言った気がした。広い背中に、そっと手を添えて擦ってみる。途中までは頭の中に残っていた、「授業にでなくては」という考えがふと舞い戻ってきたが、彼があまりにも頼りない声で名前を呼ぶので、そんな思いも再びどこかへすっ飛んでいってしまった。

「……本当にどこへも行かないか?」

典明は、どちらかといえば自分に自信があるタイプだと思っていた。自信を持っているけれどそれを鼻に掛けたりしない。
そういう彼が、こんなに不安そうな顔をするなんて。
きゅうっと胸の奥が甘く締め付けられるような感覚をおぼえた。彼が自分を好きでいてくれている、彼に愛されているという実感が改めて湧き上がってくる。宥めるようにそっと髪に触れて撫でると、典明は少し擽ったそうに目を細くした。

「心配性だね」
「そりゃあ、心配もするさ。君があんまりにも優しくて愛らしいから」
「わたしも、いつもそれと同じ心配をしてるよ、典明が他の女の子に取られるんじゃないかって」
「取られる? そんなわけないじゃないか」
「分かってる。分かってても不安になるでしょう」

彼は一瞬目を丸くしたあと、ふっと唇を綻ばせ、優しい声で「そうだな」と同意した。



その後、何食わぬ顔で教室に戻ると、「空条は保健室に行ったらしい」と思われていたようで、誰からも何も追求されることなく授業に戻ることができた。今までサボりをせず真面目に出席していてよかった。赤くなった顔を教科書でさりげなく隠しながら、真生子は胸を撫で下ろしていた。

「さっきの彼、すごく謝ってたよ。こっちが申し訳なくなるぐらい」

いつものように典明と一緒に帰路に着き、夕方の穏やかな雰囲気の街をのんびりと歩きながら真生子は言った。授業が終わった後に青い顔で頭を下げてきた件の彼の様子を思い出す。慌てて顔を上げさせて、でも好きになってくれてありがとう、と微笑みかけると、彼は強張らせていた頬をホッとしたように緩めていた。典明のようにスマートに断ることはできなかったが、それが今の真生子が掛けてあげられる最良の言葉だった。
典明は、そうか、とひとことで興味なさげに返事をしたが、人目のある場所だというのに真生子の手を取って握り締めてくる。それが可愛くてつい笑い声を立てると、彼は少し唇を尖らせながらじっとりと真生子を見つめてきた。

「やきもちは嬉しいけど、さっきみたいのはもうダメだよ。ストッキングが何枚あっても足りないでしょう」
「わかってるよ……今度代わりのを買うから許してくれ」

繋いだ手に少し力を込めると、それに気付いた典明が指を絡ませてくる。その手の温かさを愛しく思いながら、真生子は彼の肩に頭を寄せた。