「…………は? 今なんて?」

真生子は大したことでは無いといった様子で、夕飯の唐揚げをモグモグと咀嚼しながら「だから、結婚するんだって」と繰り返した。

花京院は大学二年生、二十歳になったばかりだった。一つ年下の彼女が同じ大学へ進学を決め、花京院の借りたマンションで暮らすようになってからまだ半年程しか経っていない。
これ美味しいね、また作ろうかな、などと呑気なことを言いながら次の肉に箸を伸ばした真生子に、花京院は慌てて問い詰める。

「待ってくれ。誰が、結婚するって?」
「だから……お兄ちゃんが」

何度言わせるのだと、彼女は呆れ顔で返した。テーブルから身を乗り出していた花京院は放心状態で椅子に座り直し、箸を握り締めたまま暫く固まっていた。

承太郎が、結婚する。
アメリカの大学へ進学した彼は、花京院の一つ年上だが、早生まれであるから、今は同じ二十歳の筈だ。学生結婚は、向こうでは珍しいことではないとは言うが。
余りにも唐突な発表に、めでたいと彼を祝福する感情よりも先に、ただただ驚きだけが頭を埋め尽くしていた。

「そもそも、付き合ってた人がいたことも、知らなかったんだが」
「うん、典くんが知らないの、知ってた」
「うん、って……教えてくれてもいいじゃあないか、水臭い」
「だって内緒にして欲しいみたいな雰囲気だったから、お兄ちゃんが」

悪びれもせず肩を竦め、「照れ臭いんじゃないかな」と言う真生子に、花京院はつい苦笑する。あの承太郎が照れている所を想像することが出来なかった。

「結婚式は?」
「しないって。子供も産まれるらしいし」
「は?」

ぼろりと落ちた箸がテーブルに転がるのを見咎め、真生子は眉を顰めた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「んー?」
「子供って言った?」
「そう。子供が出来たから結婚するって」

平然とした様子でむしゃむしゃと口を動かし続ける真生子に、花京院は今度こそ絶句してしまった。

「あ……ちょっと。もう、食べてる途中なのに」

受話器に駆け寄ると、背中から真生子の困り声が飛んでくる。構わず、電話帳から彼女の兄の名前を探し出した。

『花京院か。そろそろ掛けてくる頃じゃあねーかと思っていたぜ』

電話越しに色々と喚き散らそうとした花京院を、承太郎はアッサリとそう受け流した。妹と同様にケロリとした態度の彼に、つい拍子抜けしてしまう。
仲間外れにされたようで不満だったが、いざ彼と直接話すとなると、そんなくだらない文句は喉の奥へ引っ込んでいった。

「はは……おめでとう、承太郎。落ち着いた頃に遊びに行くよ」
『おう。お前も、責任取れよ』
「え? 責任?」

急に話の矛先を向けられて、ついつい間抜けな声が出た。

『妹を傷物にした責任は取ってもらうと言ってんだ』
「は!?」
『じゃあな。真生子を頼むぞ』

ブツ、と鈍い音。受話器を耳に当てたまま、その場で硬直してしまった。

責任。
頭の中でその単語がぐるぐると反復する。チラリと真生子を振り返ると、小首を傾げながらこちらの様子を伺っていた。
一緒に暮らし始めたのは、結婚を前提の交際であると双方の両親に認めて貰ったからだ。承太郎に諭されずとも元よりそのつもりだったのだが、いざ改めて言葉に出して言われると気恥ずかしくなってしまう。
遠い未来のことだろうと考えていたものが、急に現実的な話に感じられた。
花京院は受話器を放ると、真生子の前にしゃがみ込んだ。じっと顔を見詰めると、彼女は困惑して視線を泳がせる。傷ひとつ無い柔らかい手を握り締めると、彼女も軽く握り返してきた。

「どうしたの?」
「大事にするから」
「?」

腰に腕を回し、お腹に顔を押し付けるように抱き締めると、真生子は不思議そうに、それでも幸せそうに頬を緩めながら、花京院の頭をそっと撫でた。