「あ、うん」

そう言って、テレ、と頬を軽く染めて僅かにはにかむと、真生子は何事もなかったようにフォークを握り直し、食事を口元へ運搬する作業を再開し始めた。これ美味しいね、家でも作れるかな。そんな呑気な台詞に苦笑することもできず、花京院は茫然と彼女を見つめていた。
一世一代の大告白が、たった三文字の相槌で受け流された。
会話はもう一区切りがついたと見なされたようで、真生子は美味しそうに食事を頬張り続けている。張り切って予約した、落ち着いた雰囲気の洒落たレストランの料理は、彼女の口にちゃあんと合ったらしい。店内に流れる穏やかなBGMは耳には入ってこず、他の客のささやかな話し声や食器のカチャカチャいう音と共に頭の後ろの方へ流れて消えてゆく。
あんぐりと口を開けたまま微動だにしない恋人を不思議に思ったらしい、怪訝そうな視線を彼女から向けられた頃には、花京院はなんとか平静を取り戻していた。

「……ぼくが言ったこと、ちゃんと聞いていたかい?」
「ん? 結婚しよって?」
「一応、プロポーズ……だったんだが」

真生子はパシパシと目を瞬いた。「ああ」と、たった今ようやく合点がいきましたという声を出すと、肉に突き刺そうとしていたフォークを置き、ナプキンで軽く口元を拭う。それから水の入ったグラスに手を伸ばそうとしたところで、彼女はピタリと動きを止めた。花京院を見、もう一度瞬きを繰り返す。目を細めて思案した後、はっと何かに気付いたようで顔を上げ、それからはもう面白い程あっという間に顔を真っ赤に染めた。

「あの……ええと……ずっと一緒にいたいねとか、将来は一緒になろうねとか、そういうのじゃなくて?」

つまり、毎日何気なく交わすような愛の言葉と同義のものであると捉えたらしい。花京院は一瞬脱力しそうになりながらも、 「そういうことじゃあない」とやんわりと諭した。

「…………ホントのほんとに?」
「ああ」

熟したリンゴのように染まった両頬を隠すように手を当て、真生子は下を向いてしまった。眉は八の字に寄せられ、「どうしよう」と小さく呟いた唇もふるふると震え始める。

「わたし……一緒に暮らし始めたときから、将来は典くんがお嫁さんにしてくれるんだって思ってて……家族も皆そう思っているし……だからその……そのうち結婚するんだろうなとは思ってたんだけど、いざとなると…………」
「それは、ぼくも同じだが……一応、ケジメというか…………」

つられてこちらまで顔が熱くなってしまい、二人して茹で蛸になりながら押し黙る。
花京院はゴクリと唾を飲み込んでから、意を決してジャケットの内側からベルベット張りの小箱を取り出した。

「真生子」

彼女はハッと顔を上げ、花京院の手の中のものに気が付いて目を丸くした。

「あの旅の始めから、ずっと君が好きだよ。これからも、ずっと一緒にいてほしい」

初めて思いを伝えた言葉をなぞって愛を伝える。彼女の左手を取り、箱から取り出したリングをその指にそっと通した。自己主張の過ぎない、小さな緑色の石が嵌った指輪は、真生子の薬指の根元で美しい煌めきを放っていた。
二人にとって、エメラルドは特別な石だった。花京院の精神体であり守護霊である緑色の半身は、その宝石のように煌めく結晶を生み出す。一方で真生子はその身に翠玉の瞳を持ち、常に穏やかな輝きを湛えている。その、出会った頃からずっと優しい光を放っている眼を、キラキラ輝く緑色を、あの旅から何年を経ても消えることのない強い意志が宿った瞳を、花京院は心底愛していた。
彼女は花京院と自分の手を交互に見、それからじっと指輪を見つめる。石がエメラルドだと気付いた真生子はふんわりと微笑み、愛おしそうにその手の甲をさすった。

「はい」

と小さな声の返答は、花京院の口元を綻ばせるには十分すぎるものだった。