スピードワゴン財団、と聞くと、殆どの市民は医業を連想するだろう。現在、財団は主たる活動として医療に力を入れており、世界的にもメディカルな団体として認知されている。しかし、財団内には「超常現象」を扱う部門が存在している──創設者のロバート・E・O・スピードワゴンの、「ジョースター家の手助けになるように」という遺言に則って設けられ、先のエジプト軍行の際に惜しみない支援を施した部署がそれであった。
大学を卒業した真生子は同棲人と籍を入れ、苗字を改めて、財団の職員として勤務していた。東京の目黒支部を基点にしつつ、時には世界各地へ飛び回って追い求めるのは、やはりスタンド使いについての情報だ。自身に備わった特殊能力を悪用する者は後に絶たない。彼らが犯罪に手を染める前に接触し、場合によっては財団へ勧誘し、罪を犯した者は司法警察に代わって「裁く」。それが今の真生子に、そして同じ場所に勤める夫に与えられた役割であった。
スタンド使いはスタンド使いにしか抑制出来ない。危険な目に巻き込まれる事もしばしばあるものの、真生子はこの使命に満足し、受け入れ、自信を持って職務を全うしていた。
「今、なんて言ったの」
ピシリ、と音を立てて、デスクの周りの空気が凍り付いた。
真生子は受話器を耳に当て、全ての感情が消えた顔で目の前の空間を見つめていた。電話先の男は一瞬黙った。国際通話だ。アメリカは今何時だろうか。そんなことを頭を裏側で冷静に考える余裕が、その時はどういうわけか存在していた。
『何度も言わせるな……ジジイに子供が居たと言ったんだ』
「…………」
『真生子。聞いてるのか』
「お母さん以外にっていうこと?」
そうだ、と男は低い声で肯定した。
『生涯妻しか愛さない──などと言っておきながら、他の女と子供まで作っていたということだな』
「し……信じられない」
机の上に置いていた手が俄かに震え出した。祖母は今どうしているのかと尋ねると、カンカンで手の付けようがないというようなことを彼は言った。
頭を思い切り殴られたようなショックで真生子は黙り込む。あの、明朗で頼もしい祖父が──最近は少し呆け気味だと聞いているが──、浮気していた。よりにもよって「隠し子」までいた。落ち込まないはずは無い。同じ女性として、祖母の怒りも自分のことのように理解できる。あまりのことに、真生子は暫し茫然としてしまった。
『とにかくだ……四月におれがそいつに会いに行ってくる』
「……わざわざ行くの? お兄ちゃんが?」
『前に話したように遺産分配の件があるからな。だがそれよりも、もっとヤバイ事があの町にはある』
兄の承太郎は、そう言うと受話器の向こうで一呼吸置いた。
『ジジイが自分の息子を念写しようとして、予想外のものが写った』
「?」
『その件でこんな時間にオメーに電話したんだぜ。"アンジェロ"の件は知ってるな』
アンジェロ、と真生子は繰り返した。
確か本名は片桐安十郎とかいう名前で、少年への強姦と殺人の罪で死刑判決を受けた男だ。刑を執行しても死亡しなかったということで独房に戻され、その後脱走したのだと聞いている。死刑に失敗したのは、彼がスタンド使いだからではないか──という疑惑は憶測ではない。疑わしいが、可能性は高いとして数名の職員が調査に当たっていた。
「その男が写真に写ったっていうこと?」
『ああ……M県S市の杜王町だ。その町に──』
「え? 杜王町? 杜王町って言ったの?」
慌てて聞き返すと、兄は訝しげに首肯した。
真生子は急いで散らかったデスクの上から目当ての書類を探し、引っ張り出した。四月から予定していた出張の詳細が記されている。財団がずっと追い続けていたとある犯罪集団の、潜伏先の調査のための長期出張だった。
「……その町ね……もしかすると、他にもヤバイものが潜んでるかも……」
紙面にはっきりと印刷された「杜王町」の文字をなぞりながら、真生子は深く溜息を漏らした。