ストリートに面したカフェは昼食どきを過ぎ、混雑も落ち着きを取り戻していた。疎らに客の入った店内に流れるささやかなBGMは、カフェテラスに座る真生子の耳にも届いてくる。
穏やかな雰囲気が店にも通りにも漂っている中、真生子は緊張に汗を滲ませ、何度もそわそわと椅子に座り直していた。

「オレンジジュースでいいかい?」
「う、うん」

向かいの席に腰を落ち着けている銀髪の青年は、メニューを眺めながら優しげに尋ねてくる。小さな声でした返事に彼は頷き、ウェイターを呼び止めて注文を言い付けた。
ジョセフから頼まれた買い出しの帰りだった。一人で街へ向かおうとしたポルナレフに、真生子は勇気を出して自分も行くと名乗り出た。買い物をしながら、二人で他愛のない雑談が出来ればそれで良いと思っていた。
それだから、通りかかったカフェの前で「少し休んでいかないか?」と提案されて、真生子は動揺し慌ててしまった。
運ばれてきたグラスに口を付け、冷たいジュースを喉に流し入れるが、頬の火照りは中々収まらない。紅茶のカップを口元に運ぶポルナレフの、銀の睫毛や、それに縁取られた薄い青の瞳をじっと見つめていると、視線に気付いた彼がこちらへ目を向けて、真生子は息を止めた。

「なあ、真生子」

ポルナレフはソーサーへカップを戻した。名前を呼ばれて、真生子は無意識に背筋を伸ばす。彼はふーっと長く息をついた後、色素の薄い瞳で真っ直ぐに真生子を見据えた。

「お前、もしかして恋してんのか?」

ニヤリ、とキザな笑みひとつと共に投げ掛けられた問い。
椅子から飛び上がりそうになるほど驚いた真生子の心臓はきゅうっと縮み上がり、痛み、破裂しそうな程の早鐘を打っていた。
どうして? と動揺を隠せぬまま聞き返すと、ポルナレフは「見てりゃ分かる」と得意げに胸を張る。

「恋をしてる女の子ってのはな、みんな目がキラキラして、日に日にどんどん可愛くなっていくんだぜ」

パチンとウインクをお見舞いされ、真生子は俯いた。グラスの中の氷が溶け、からん、と小気味良い音を立てた。

「あの、わたし……」
「最近、どうにもそわそわして落ち着かないのはそのせいなんだろ?」
「それは……」

呟いた声は震えてしまっていた。顔が熱い。服の中で浮かび上がった汗が、背中を伝い落ちた。

「……自分でも、よく分からない……」

曖昧な返事をして、真生子は再びポルナレフを見た。

──あなたのせいなの。

このまま目を見つめながら、そう言ってしまえたら、なんと楽だっただろうか。恋と言うには少々淡いが、胸を焦がすようなこの思慕の情を、他に何と呼べば良いのだろう。
妹が居たというポルナレフは何かと真生子に気をかけ、手を差し伸べ、紳士的に振る舞う。敵のスタンド使いの攻撃から守るように咄嗟に抱き寄せられたこともある。祖父、たまには兄がそうするように、頭を撫でてくれることもある。すっかり兄貴分のように接する彼に、真生子は自然と憧れ、慕うようになっていた。
だが、そんな想いを素直に吐露出来る程、真生子は恋愛に手練れていない。それに、これはただの旅行ではないのだ。母の命を救う為、早くカイロへ辿り着かなくてはならない。いつどこでDIOの刺客が襲ってくるかも分からないのだ。そんな状況で恋だの何だのに浮かれている暇は無いし、実際、心にも余裕は無い。
それだから「よく分からない」のだ。自分がどうしたいのか、自分でも分からない。だから今は、一緒にいて少し話をするだけで精一杯なのだ。
モジモジと靴の爪先を擦り合わせる真生子を見ながら、ポルナレフはうーむと何かを考え込み、それから合点がいったように手を軽く叩いた。

「よし、ここはこのおれが一肌脱いでやるしかねーようだな!」
「えっ?」
「今日ホテルに戻ったら、どうにかしてあいつと二人っきりになれるように手伝ってやる!」
「……あ、ええと……」
「心配すんなって、おにーさんに任せとけ、な」

ぽんと肩に触れられる。びくりと身動ぎながら、真生子は「違う」と口の中で漏らしたが、彼の耳には届かなかった。

「あいつも、お前のことが気になってると思うんだよ」
「あいつ……」
「ああ、花京院だろ? お前が恋してるのは」

真生子はスカートの上の拳を握り締め、俯いた。
やはり勘違いされていた。彼は自分がその対象だと気付いていないから、必然的に花京院かアヴドゥルのどちらかに真生子が恋をしていることになってしまう。その二人のどちらかと言えば、年の近い花京院の方が真生子の焦がれる相手としては適しているのかもしれない。実際彼はとても物腰柔らかで、優しくて、普通の女の子ならば忽ち好きになってしまうだろう。
けれど、違う。
その一言が喉から出てこない。

「おっ、もうこんな時間か……そろそろ戻ろうぜ。お前をあんまり遅くまで連れ回したら、ジョースターさんにどやされちまうからな」

そう言って飲み物の代金をテーブルに置くと、ポルナレフは椅子から腰を持ち上げた。真生子は残っていたジュースをぐっと一気に飲み、熱の篭ったような頭を冷やした。
このままホテルに戻ったら、彼は永久に勘違いを起こしたまま、真生子の気持ちに気付いてくれないだろう。震える手を握り締め、持ち得る限りの最大の勇気を出して、ポルナレフの背中に駆け寄った。
その逞しい、筋肉質な背に半ばぶつかるように体を寄せ、服にしがみ付く。心臓がバクバクと壊れそうな程動いているのを、聞かれてしまってはどうしようか。頭の中は緊張で真っ白だった。

「あの、ポルナレフさん、あのっ、わたし……!」

わたしが好きなのは。
震えた声でそう口にしかけた時、ポルナレフが上体を捻って振り向いた。

「な~に、甘えてんだよ」

わしゃ、と頭を撫で回され、真生子は慌てて顔を上げた。薄氷色の瞳と視線がぶつかる。その優しく細められた眼に、真生子は見憶えがあった──いや、見慣れていた。
兄の承太郎が自分を見つめる時の、僅かな慈愛と安らぎの篭ったあの瞳。ホッとしたような、遠くの故郷に思いを馳せるようなあの目。全く同じだ。
ポルナレフの視線の先に居るのは"妹"だ。
彼にとって真生子は"妹"でしかないのだ。数年前に亡くなったという彼の妹を見つめるように、年下の家族を可愛がるように、彼は真生子を見る。
だから、彼は気付かない。 これまでも、きっとこれからも。
あ、と薄い声が喉から漏れる。熱っぽかった頭からすうっと血が引いていく。

「心配するな。きっとうまく行く」

優しい、穏やかな微笑みと共に、とんと背中に手を添えられる。
彼につられてフラフラと歩き出しながら、真生子は目の奥が熱くなるのを堪えようと下を向いた。

──違うの。
たったそれだけの、精一杯の言葉は喉に引っ掛かって、舌の上を過ぎる事なく胸の奥に飲み込まれて消えてしまった。