館の主であるDIOの妹は、彼女の兄同様に、吸血鬼特有のぞっとするような容姿や雰囲気を備え持っている。しかしそれと裏腹に、実際に会話を交わしてみると、まるで普通の人間の娘であるような印象を受けることがあった。それだから、テレンスは彼女のことをもう一人の主君として気に入っていた。一世紀も前の思い出を、まるでつい昨日起こった出来事のように話す時に見せる、ほんのり嬉しそうな表情や、テレンスが用意した菓子を美味しいと口へ運ぶようすは、彼女が人ではない生き物であることを、一瞬忘れさせる。

しかし、この時ばかりは、彼女が「人間でない」ことを嫌でも見せつけられる。
そう、これは初めてではない。
それでも、どうしても部屋の中を直視することができなかった。
血の海の中でピクリともしないナミネを視界の端に捉えながら、テレンスは口に手を押し当てた。

「またなのか、ナミネ」

呆れたように、それでもどこか穏やかにDIOが言うその斜め後ろで、テレンスは嘔吐しそうになるのを堪えていた。
ナミネが食事のために見繕ってきて、館に住まわせていた男の部屋だった。ここは、もう使えないだろう。壁に飛び散った血を一瞥したDIOが、小さく鼻を鳴らすのが聞こえた。テレンスは、廊下に突っ立ったまま部屋に入れなかったが、それを咎められはしなかった。
彼女はドアに背を向けるようにして、ベッドの上に座っていた。服は、黒い生地なので分かりづらいが、両腕は血で満たされた桶に突っ込んだのではないかというほどに真っ赤に染まっている。様々な大きさの肉片が、どす黒くなったベットのシーツにごっそりとこびり付き、何をどうやったのかわからないが、腹から引きずり出された様々なものも、壁になすり付けられたりしてグチャグチャになっている。辛うじて元の形を保ってはいるものの、元々あった場所から千切れて床に転がっている腕やら脚やらを、ブーツの爪先で蹴り飛ばして避けながら、DIOはベッドに近づいた。
ナミネは、本当に僅かにさえも動かない。まるで大きな人形か何かのように。赤い眼を見開き、見つめているのは、一応は胴体と繋がっている男の頭だ。
これだけぐちゃぐちゃにしておきながら、顔には一切手をつけていないようだった。男の顔を一目見れば、この世のものとは思えないような苦悶の表情を味わいながら死んだのが分かる。生きたまま引き裂いたのだろうか。「我が妹ながら感心するな」とDIOは芝居がかった口調で言った。
ごく希に、部下やきょうだいの目の届かないところで、ナミネはこういう癇癪を起こす。吸血鬼の本能を抑えられないのか、定期的に破壊衝動が襲うのか。詳しいことは知る由もない。異常に気が付くのはいつも全てが終わった後だ。彼女が人肉を引き裂き血を啜るその瞬間を目にしたことはない。血の海の中にへたり込んで項垂れる、頼りない細い背中を呆然と眺めるのは、これが数度目だ。

「その男の血がそんなに美味かったのか」
「違うのよ、兄さん」

兄からの問い掛けに、思いの外落ち着いた声で娘は答えた。

「わたしは悪くないの」
「今回は、何が気にくわなかったんだ」
「だって……兄さんを悪く言うんだもの。わたしが嫌々ここに居るんだって言うのよ。そして、わたしをここから連れ出そうと、…………」

DIOは、硬く握りしめていた彼女の拳を無理矢理開かせた。握りつぶしたままの肉の欠片を、手のひらから払い落とす。テレンスは一瞬息を詰まらせる。
DIOは黙ってナミネを抱き上げるが、彼女の焦点は全く定まっておらず、兄を見上げようとする仕草さえ見せない。そうしてなにやら意味不明なことを口の中でブツブツと呟くように言ったが、よく聞き取れなかった。

「ああ……そうだな」

そう返事をしたDIOの声は、あまりにも、この血なまぐさい場に不釣り合いなほど優しい。テレンスがぎょっとしながら彼の方を見ると、愛おしくて愛おしくて仕方がない──というように目を細め、唇の端を持ち上げてすらいるではないか。

「お前はなんて可愛そうな娘だ、ナミネ」
「兄さん」
「何も心配しなくていい。全てわたしに任せろ」
「兄さん、兄さん」

ようやく顔を上げたナミネは、DIOの首に手を回して縋り付く。その赤い唇に、彼は自分のそれを押し付けて慰めた。するとナミネは、嬉しそうに、ゆるりと目を細めて笑う。幸せで堪らないとでも言わんばかりに。
その、ぞっとするような光景を、まるで絵画のようだ──と思ってしまった。
なにもかもが狂った状況で、二人の姿はあまりにも美しい。異様さを忘れてしまうほどに。血を浴びて赤に光る金の髪と、兄妹の揃いの瞳。濡れた白い腕は闇の中で浮かび上がって、より白く。
この娘は、人をやめてもやはり「少女」だった。唯一の肉親に縋らぬことには生きてゆけぬのだ。しかしDIOの方は恐らく、その掻い付く細い手をいともたやすく振り払うことができる。だというのにそれをしないのは、愛ゆえだとでもいうのだろうか。

これは、おかしい。

忽ち身が竦み、思わず一歩、ふらりと後ろへ下がってしまう。それに気付いたDIOは目をあげ、呆気にとられている執事に視線を向けた。ぎらりとした紅い双眸に貫かれ、嫌な汗が背中を伝う。すっと背筋を伸ばし、テレンスはゆっくりと腰を折った。

「ヴァニラ・アイスに部屋を片付けさせます」

この場から立ち去りたい。その思いが透けて見えぬように、出来るだけいつもと変わらぬ口調を保ちながら言うと、DIOは無感情な声で「ああ」と返した。