「いつもと違う香ですね」

歌仙の部屋の襖を開いた瞬間から、ふんわりと漂ってきた香りに、思わず頬が緩んでしまう。文机でなにか書き物をしていたらしい部屋の主は「良い香りだろう」と上機嫌で返答する。
用意されていた座布団に腰を落ち着け、部屋の隅で燻っている香の匂いを胸に吸い込んだ。少し甘ったるさがあるが、その甘さも嫌いではない。普段は決まったものしか使わない彼にしては珍しいことだ。
こうして夜が更けてから彼の部屋を訪れるのは、そう滅多なことではない。翌日の出陣について打ち合わせるなど、仕事の話をすることもあれば、文学に詳しい彼から古典の物語について指南を受けることもある。
一通り必要な事柄について話し終えた後、ふと、自分が妙に嫌な汗をかいていることに気がついた。手足は冷たいのに、頭は熱くてぼうっとする。風邪でもひいただろうか。妙に心臓の鼓動が早くなっていくのを感じたが、軽く頭を振って誤魔化した。

「では、明日もよろしくお願いします」
「ああ」
「部屋に戻りますね」

この近侍に体調が悪いなどと悟られては、要らぬ心配と世話をかけてしまう。平静を装いながら畳に手をつき、腰をあげようとした時だった。

「あ」
「おっと」

腹の奥で燻っていた熱いものが背筋を走り抜け、立ち上がれずに踏鞴を踏んでしまう。よろめいた身体を支えるために、すかさず彼の腕が飛んできた。抱き止められ、なされるがままに逞しい胸に凭れる。藤紫の髪が頬を掠め、彼が平時に焚いている香の匂いを感じ取った。

「大丈夫かい」
「あの……すみません。少しくらくらして……」

呼気が熱い。はあ、と苦しい息を吐き出しながら、生理的な涙で滲んだ目を上げる。と、こちらをじいと見下ろす青い眼と視線がかち合った。

「歌仙……?」

息を飲んだ。彼は、薄っすらと微笑んでいるではないか。怯えて身を引こうとするも、震えるばかりの腕には力が入らない。

「な……なんですか、これは」

尋ねると、きゅっと唇の端が吊り上がる。嬉しそうに細められた目。籠手を外した彼の指が伸びてきて、優しく頬に添えられる。過敏に反応して身動ぎすると、歌仙は今度こそ声を出して笑った。体の芯が溶け出すように疼き始める。熱い。

「良い香りだろう?」

ああ、しまった。畳の上に引き倒されながら、心の中でそう独りごちるも後の祭りだ。