ぱらぱらと庭の葉を打つ雨の音が、襖の向こうから染み入るように聞こえてくる。
夜中に不意に目を覚ますのは珍しいことではない。疲れている時は特に、睡眠が細切れになりがちで、夢見も元々あまり良くない。目をうっすら開けるも、眼前には、ただただ闇しか広がっておらず、今自分が瞼を持ち上げているのか下ろしているのか分からなくなってしまいそうな程、暗い夜だった。
体が、重たくて動かない。目覚めたばかりの、特有の倦怠感に蝕まれ、指一本も持ち上がらなかった。しかしその重たさが、ただの怠さに起因するものではないと気がつくのに、周は少しの時間を要した。
誰かが覆い被さっている。
周の口からは、ほとんど反射的に、愛しい近侍刀の名前が滑り出た。彼が夜這いに来るのはままある事で、こんな風に勝手に閨に入ってくるのも、周は彼に限っては良しとしていた。だから、当然、彼だと思ったのだ。
ふわりと頬を柔らかい髪が掠めて、覚えのある感覚に僅かに安堵した。

「かせん」

と寝起きの舌ったらずな声で呼ぶと、彼は探るように顔を近付けてくる。周の唇を見つけ出すと、優しく吸い上げるだけの口付けを振る舞ってくれる。するり、と布団の中に彼が潜り込んできて、寝衣の上から体に触れてくる。するすると、さするように優しく。周はもう一度名前を呼んでみたが、彼はやはり返事をくれなかった。その優しく繊細な手の動きは、やはり彼のもので。だというのに、どうしてか呼び掛けに応えてくれないので、少し不安になってしまう。
掛衿の合わせ目から、骨張った大きな手が滑り込んでくる。ひんやりと冷たい手。肌をゆっくりと撫でられると、それだけで腰が震えてしまう。彼は胸に触れるのが好きらしい。揉まれたり揺らされたりして好き勝手に愛でられると、もう堪らない気持ちになってしまって、吐き出す息も熱くなってゆく。
ふと、男の身体が離れた。目を開けても、やはり眼前に広がるのは闇ばかりで何も映らない。衣擦れの音。着物を脱いでいたのだと解ったのは、身体を倒した彼の胸板が、直に周の胸に擦れたからだった。

「か、せん」

脚を開かれて、思わず情けない声が漏れた。
どうか、返事をして欲しい。歌仙、歌仙、かせん。未だ寝ぼけた感覚が抜け切らないせいで、うまく回らない舌で懸命に名前を呼ぶ。彼は応えない。下腹部で何かが滑った。それがそのまま、無遠慮に身体の中に潜り込んでくる。周は息を飲み下して、為す術もなくそれを受け入れた。じんと痺れるような、僅かな痛みが走る。思わず呻きながら、縋るようにもう一度「歌仙」と呼びかけると、彼はしばし動きを止め、それからわざとらしい溜め息を漏らした。

「……全く、君って人は」

鼓膜を揺らす低い声に、周の肩はぴくりと跳ねてしまう。ずっと聴きたかった声。ゆったりしていて、甘くて優しくて。

「姿の見えない相手に、こんなに簡単に体を開くのかい?」

決して責めるような口調ではない。少し上擦って、呼吸が掠めるような、昂ぶっている時の声色だ。歌仙は、閨でしかこんな声を出さない。それを知っているのは自分だけだ。誰に向けてのものかも判らぬ優越感が、安堵と共に胸に芽生える。周は暗闇の中に向けて手を差し伸ばした。彼の髪を指先が掠める。それを辿って手を降ろし、頬に触れると、思いの外熱を帯びていた。

「いいえ。あなただとわかっていたから……」
「何故?」
「なぜって。触れられたら、わかります。優しい手も、香りも、」

最後まで言い切らないうちに、腰を押し付けられて、周は言葉を詰まらせる。歌仙が微かに笑う気配がした。

「すまないね。ちょっと意地悪をしてみたくなっただけなんだ」
「そんなことだろうと思いました」
「でも、真っ先に呼ぶのが僕の名前だと分かって、満足だ」

当たり前でしょう、と言い返そうとした唇は、やはり彼のそれで塞がれてしまった。
いつの間にか、雨は止んでいたらしい。空を覆っていたであろう分厚い雲もどこかへ行ってしまったのか、目を開けると、うっすらとした月の光が障子越しに差し込んでいる。薄闇の中でようやく伺えた歌仙の表情は、いつになく嬉しそうに見えた。